星くず集積地

面白さを言語化するのは自分のために大事だと思って始めたブログ

あしたのジョー

矢吹丈である。

 

あしたのジョー」は群像劇ではなく(魅力的な脇役はいくらでもいるけど)、矢吹丈がドヤ街に現れる冒頭から彼が自ら選んだ幕引きまで、ずーっと矢吹丈が主役を張る全20巻(文庫版12巻)の物語。 

週刊少年マガジンで連載され、ライブで描かれているはずのこの物語は、打倒・力石徹に燃える前半から、力石を乗り越えようとする中盤、矢吹丈自身の不吉な影が濃くなっていく終盤まで引き伸ばし感はいっさいなく、すべてがラストに向かってあるべきところに収まっていくような作品だと思った。

 

私はあまりに有名なラストシーンと力石戦くらいしか知らなかったんだけど、あらためて原作を読んでみて、矢吹丈の性格に驚き、どうしてこの人はこういう結末を迎えることになったんだろうかと考え込んでしまった。

 

このストーリーは、元ボクサーの丹下段平矢吹丈の出会いから始まるのだけど、その丹下段平への矢吹丈の評価はコレ

 

丈「自分がチャンピオンになりそこなったもんだから

このおれにゆめをたくそうってわけだな

つまり おれを拳キチのゆめをせおった生き人形にしようってんだ」(文庫版1巻)

 

丈は段平おっちゃんに感謝するようになるんだけど、実はこの評価はそれほど変わらない(と思う)。

丹下段平は、丈を一流のボクサーに育てようとするんだけど、一方で、破滅的ともいえる生き方をする丈を守ろうとするんだよね。

実際に原作を読むと、おっちゃんが有名な「立つんだ、ジョー」より「立つな、ジョー」に類するセリフを言う回数の多さにびっくりする。

そんな段平に感謝はしつつも、彼の思惑を軽々飛び越えてしまうのが主人公・矢吹丈

 

丈が計画した詐欺の被害者で財閥の令嬢、少年院にたびたび慰問にくる美少女・白木葉子矢吹丈が投げかける言葉がコレ(文庫版2巻)

 

丈「さいしょあんたにあったときさ・・・・おぼえているかい

おぼえているかいあんた」

丈「そう その法廷でよ」

少年院で生活している時点でけっこう過去の法廷のことを掘り返す。

 

 丈「おれがさばかれているさいちゅうにおれを見ていた目つき・・・・おれは一生わすれないぜ」

言葉を交わしたのですらなく目つきを指摘。

 

丈「ありゃあどうひいきめに見たって愛にみちた娘の目つきなんてもんじゃなかったねっ

つめたかったぜ! 氷のようにするどかった! 徹底したさげすみにみちていた!」

 

葉子は10万円をだましとられた詐欺の被害者、さげすまれるのは自業自得という教官に対して

丈「ふふふ おれがここでいいたいのはな

たかだか十万円ぽっちのことでうらぎられたからって腹をたてるくらいなら

少年院を慰問して愛を説くなんておこがましいまねをするなってんだ!」

 

お前を反省房から出してやったり関係者を少年院の中に入れてやったのは自分だと言う葉子に対して

丈「おれが感謝感激してなみだをこぼさなけりゃまたそこで腹を立てるんだ・・・・

つまり万事が恩きせがましいんだよ

はるか雲の上から優越感でやってることなんだ

うわべだけの愛

かたちだけの親切

いわばすべてにせものなんだな!」

 

締め

丈「おれは理屈なんてえのはにがてだが もしかすると葉子おじょうさまよ・・・・あんた

おれやここにいるあわれなれんじゅうのためじゃなく

自分のためにこんな慈善事業をやる必要があるんじゃないのかね

え? 自分のためによ」

 

理屈は苦手といいながら、葉子を論破

 

ここまで言われる葉子が実際にしたことって、丈に10万円を騙し取られてその裁判を傍聴して、少年院に慰問の劇(ノートルダムの鐘?)の発表をしに来て、その劇に殴られ役として段平と、エキストラとしてドヤ街の子供たちを出演させて、丈を殴ろうとする力石を止めて丈に平手打ちをしただけなんですよね。

でも葉子への指摘は、だいたい読者の実感と一致してる。

 

これ、言われたほうは めっちゃ傷つくんだけど

それは全部ふだん他人が指摘もしないし自分でも意識にのぼらせない、真実だからだと思うんだよね。

「地雷」とも言うけど。

 

丈をボクサーに育てたいおっちゃんの思惑を利用して生活しながら、ドヤ街で悪事を働き少年院送りになり、宿命のライバル力石と出会う・・・という有名なストーリーは

矢吹丈が社会からはみだして少年院送りになり自由を奪われ

力石という男に負けて失われた誇りを取り返すために立ち上がるという

獣にもたとえられるような矢吹丈のものすごい気性が生み出すものなんだけど(ちなみに白木葉子に平手打ちされた際には葉子の首に手をかけていた)、

一方で丈は他人の悪意、嘘や欺瞞、思惑をものすごく敏感に感じ取る、繊細な少年でもあるんですよね。

 

たぶんそういう敏感さ、繊細さは、誰もが多かれ少なかれ持っていると思うんだけど、いつしか意識の表面から抑えられ、抑えられているあいだに曇らされてしまう。

そういう繊細さは、嘘や欺瞞に猛反発する心を生んで、まっとうに生きていくうえで邪魔になるから。

孤児として生まれドヤ街に流れ着いた丈が、とうとう法を破って社会から追放され、さらに追放された先の少年院でもどんどん孤立していくように。

 

そんな彼が真っ白な灰になるまでのめり込んでいくのがボクシングの世界――たとえ試合で相手を殺してしまっても法の裁きすら届かない、すべては自分しだいというリングの上だった

というのが、丈がボクシングに魅入られていくまでの流れ。

 

そんな丈について、のちの模範青年となる親友の西は

西「わいが気がかりなのは・・・・ジョーが一つ一つおそろしいパンチをおぼえていくたびに・・・・ジョー自身も一つ一つ・・・・ふ・・・ふしあわせにのめりこんでいくような気がすることや・・・・」(文庫版2巻)

と言っている。

 

ところで「あしたのジョー」の序盤は、丈をボクサーに育てたいおっちゃんから生活費をせしめ、

窃盗や賭場あらしや路上たたき売りなどの悪事で小金を集め、新聞を利用した詐欺を働いてとうとう少年院送りになってしまう

という話なのだけど、

ではなぜ、矢吹丈は生活費があるにもかかわらず詐欺を働いてまで大金を集めようとしたのか?

 

手下になったドヤ街の子供たち以外、段平や、詐欺にひっかかる白木葉子や、少年院送りにかかわる大人の誰も知らなかった矢吹丈(15)の計画がコレ

 

計画の一! それはこの広い川っぷちの両岸一帯におとなも子どももあそべるでっかい遊園地を作ること!

計画の二! このドヤ街の西のはずれにりっぱな総合病院をぶったてること!

計画の三! 東のはずれには年をとってはたらけなくなった人たちのために養老院をたてるっ

計画の四! 南のほうに小さい子どものための保育園!

計画の五! 北のはずれにしずかなアパートとなんでも買える大マーケット!

そして最後に計画の六! このドヤ街のど真ん中にでっかい工場をたて仕事にあぶれているれんじゅうがひとりのこらずその工場ではたらけるようにするんだっ

(文庫版1巻)

 

丈を慕う子どもたちすら、この計画を完全に無視するんだけども。

それもそのはず、病人、老人、小さい子ども、失業者への救済が盛り込まれたこの計画のどこにも

丈自身がお金持ちになるとか豪邸を建てるとかどうなりたいとかは含まれてないから。

「いいねー」とか「すごいねー」とか反応できないんだよね。

 

人はお金が入ったらどうするか?

 

ジョーの最後の対戦相手となる世界チャンピオンのホセ・メンドーサ

鬼のように強い一方で健康管理に細心の注意を配り、

美しい妻とかわいい子どもに囲まれるマイホーム・パパ。

 

矢吹丈の最大のライバル力石は、矢吹との対戦前に

 

 「本心をいやあ おれは 一日も早く チャンピオンになって金をかせぎたい

日本も東洋も できれば世界のタイトルをもこの両手ににぎって世界のボクシング界に力石 徹の名をとどろかせたい!」

「もし・・・・あいつをみごとたたきのめすことができたら

そのときにこそおれは おれの野望をめざし栄光と富をめざして自信満々つっ走ることができるでしょう」(文庫版4巻)

 

「お金が入ったら」って、ふつうは漠然とでもこう考える。

 

矢吹丈が金を持ったら? というと、ハワイで買い物をしまくる場面があるんだけどそれは全部仲間へのおみやげだった。

あとはハワイでボコボコに壊した高級車(レンタカー)の修理代だったり(文庫版10巻)。

 

わざわざ最終巻で語られる親友・西と紀子の結婚式にも

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あのコート

 

路上生活者になることを受け入れてでも質入れを拒否したあのコート(と同じものかどうかはわからないけど)

 

この漫画の時代背景とかは全然知らないのだけど、矢吹丈はボクシングをやってもやらなくても、けっこう異常なことを考える人間なのである。

 

そして、いい奴。

 

丈「なんせおれはのんびり遊んでいられる身分じゃねえんだ わかるだろ」

とそっけなく断った紀ちゃんとのデートを西に猛プッシュする場面。

 

丈「ああ 紀ちゃんが百花園にいこうってさわいでたぜ!」

「そのむさくるしいひげそってってやれよ 頭もちゃんと七三に分けてよ」

「おれはもう百花園どころのさわぎじゃねえってんだよ!」

丈「おめえわすれずに紀ちゃんを百花園につれってってやんな」(文庫版6巻)

 

つごう3回「百花園」と言う。

いい奴。

 

そんな丈がボクサーになるはるか以前に言うセリフがこちら。

 

丈「あんたら ざんこくな人たちだな・・・・

人になぐられるということが どれほどいたいものか

ひとつ あじあわせてやろうか?」(文庫版1巻)

 

丹下段平を魅了した、強烈な「殺人パンチ」を放つ前に言うのがこのセリフ。

ボクシングに魅入られ、すべてを――あんまり誇張ではなく青春もその後の人生も生命も、すべてを賭けてリングに立ち続ける矢吹丈は、

リングに上がるはるか以前から、人になぐられる痛みを知っている少年だった。

 

矢吹丈がこういう人だからこそ、私は矢吹丈について、つい考えてしまう。

 

この話が連載されていた当時、「あしたのジョー」をかたる犯罪者(たち)がいたという。

自分はその当時の空気をまったく知らないけれど、矢吹丈はそれを聞いてブチ切れるんだろうなと思った。